よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

アンソロジー的な何か

久しぶりの投稿です。というか、このブログ、ほとんど使ってなかったw

 

わたしは複数のブログを持っていて、その中でお仕事に一番関連するブログということで立ち上げてみたのですが、更新する時間がおそろしくない! あと、家帰ってまで仕事のこと考えるのかとどうなの? そういうのが嫌になってすぐに放置状態になっていました。

 

ただ、別の場所に愚痴みたいなことを時おり書いたりしていて、それは本当に極一部の人の目にしか触れないものだったりするのだけど(内容によってはいろいろ特定されるリスクを含んだりしているので)、もうだいぶ時間が経過して公開してもいいかなと思いだしたので、このブログに過去に書いた文章をぶち込んで行くことにしました。

 

大げさに言うとアンソロジーというか、ちょっと懐かしい気分もありつつ、「介護」というテーマで自分なりにいままで考えてきたことを集約してみようというわけです。

 

そういうことをしようと思いついた要因というのが実はあって、それはいま介護の仕事を都合により少し離れてしまっているんですね。また戻るかはわからないけど、離れたからわかることというのもあるし、いままでの自分のことを振り返るという意味でも、いい機会なのではないかと思いました。

 

まあ、誰が読みたいんだよそれ?っていう話ではありますが、そこは自己満足の世界なのでお許し下さいw

 

新しくまた何かを更新するということがあるのかないのか、それはわかりませんが、とりあえずわたしの介護職という仕事の副産物として生まれた欠片たちを痕跡として残しておきます。

国家資格をもって働くということ

最近、思考の停滞が著しく、あまりまとまらないことをが多いのだけど、いまの時期なので少し書き残しておく。



介護の仕事にはいろいろな側面があるが、典型的なもの、いわゆる身体介護と呼ばれるものの中に「入浴」がある。お風呂に入るということ、これに人手を必要とする人がこの世の中にはたくさんいる。



言うまでもなく、自分の身体の清潔を誰かの手に委ねなければいけないということ、そのことの意味は深く考えなければならない。そのようにして生きていくこと、つまりそれが介護を受けながら生きていくということであるが、その心中はその立場にならないとわからないかもしれない。だが、少なくともそのような状況について想像力をめぐらせることは必要である。そして、翻って、その生活を支える人間、介護者に何が求められているのかについても、絶えず考えていかなければいけない。



さて、現場で入浴介助を誰が担当するのかについては、その現場のやり方によるだろうが、わたしのいまの立場からは、実際にほとんど入浴の現場に入ることはない。全体を見ていくのがいまの自分の立ち回りだからだ。遠ざかっているから見えることもあるし、見失っていることがあるかもしれない。



そのような現場で、では、誰が入浴を担当するのかという話になる。必然的に、若手が動員される率が増える。そこで、考えていたのだが、彼/彼女たちにとって入浴の介護はいったい何を意味しているのかということ。



やり方を知っている、ということはあくまでスタートラインである。実際に入浴の介助ができるからといって、それがすなわち入浴介護をわかっていると言えるのだろうか。ふと、そんな疑問が浮かぶことがあった。



たとえば、入浴の前にはバイタルサインを計測するのが一般的だが、しかしなぜ入浴においてそのバイタルが重要なのかをきちんと理解した上で入浴の介護を行えている職員はいるだろうか。仕事を覚え始めの頃は「とにかく入浴前にはバイタルを測るものだ」と教えこむことも必要かもしれない。だが、もしこの手の専門家になるのなら、それだけでは不十分であることは言うまでもない。



冬場の時期には特に高齢者の入浴での事故が多いということが一般的に知られている。脱衣室と浴室の寒暖差や熱すぎるお湯へ浸かることによる身体への負担が、急な血圧上昇などの症状を引き起こし、場合によっては心筋梗塞脳梗塞につながることがある。そこで問題なのが、どのような入浴環境で血圧の変動が起きるのかということ。それを理解し、対策を立てておかなければならない。



安全であることは前提であるが、一方で入浴には文化的な側面もある。昔沖縄出身の方の入浴介助に入ったことがあるが、湯船に浸からないのですかと伺うと「沖縄には湯船に入る風習はないのよ」とシャワーだけで済まされてなるほどと思ったことがある。すでに沖縄から大阪に出て来て何十年と経っているはずだが、そういう習慣というのはそう簡単に変わるものではないということも知ることができた。



言うまでもなく、日本人の多くは入浴が好きである。認知症の人でお風呂に入るのを極端に嫌う人がいるが(介助者からすれば厄介な存在でもあり腕の見せ所でもある)、入浴には医学的にみても清潔維持以外にもリラックス効果が期待できる。高齢者にとっては身体への負担が大きいが、それだけでお風呂の楽しみを奪ってはならない。



入浴の介護は、決して身体清潔の保持に留まらないさまざまな側面を持っている。作業的にならず、そういう視点をもって若手にはもっとがんばって欲しい・・・と思っていたのだが、どうなのだろう。



そういえば、明日はいよいよ三福祉士(介護、社会、精神保健)の試験がある。よりによって大寒波がやってくる日というのが気の毒だが、わたしの同僚にも何人か受験する人がいるのでぜひとも合格して欲しいと思う。



当たり前だが、国家資格を持って働くということは、上にあげたようなことを熟知しているということだ。でなければ、素人と何も変わらなくなってしまうよ。

飽きることもまた、風物詩かな

最近、ネットで料理番組の動画を観るのにハマっている。自分で料理するわけではないのだが、作っているのをただぼーっと眺めているだけで時間が過ぎていくのだよい。そして、なにげに料理に対する知識を深めることができる。たとえば、ホワイトソースの作り方なんて、何度も動画で見たので実際に作れば完璧であろうw



ところで、お正月を過ぎた後の料理番組は決まって「おせち料理に飽きた頃、こんな料理はいかがでしょうか」と提案してくる。それは毎年決まって繰り返されるフレーズである。年末には手軽につくれるおせち料理を紹介し、年始には「ポスト・おせち」へと料理をつなげていく。わたしたちの食文化・習慣の表も裏も知り尽くしたような、そんな番組からのメッセージに思わず苦笑いしてしまう。



それにしても、飽きることがわかっていながら、しかし、わたしたちはおせち料理を食べることを止めようとはしない。むしろ、飽きるほどにおせちを食べることが美徳であるかのようだ。飽きるほどに食べることを楽しめるもの、それがおせちという料理の醍醐味かもしれない(いや、本当はおせちに飽きてなどいないという説もある)。



1年に1回というサイクルにも意味があるだろう。今日(1月7日)の七草粥というのもそうだが、その時期にしか食べないものというのがある。そして、仮に1年も口にしていなかったら、食べたことがある味であっても、「ああ、もうあれは食べ飽きた」とならないのが、人の欲望の奥深さといえる。



話は変わるが、食を通じて季節を感じるということは、たとえば施設に住んでいる高齢者にとっては特別な意味を持っている。認知症になり見当識障害が進み、なおかつ外界との接触が少なくなる高齢者は、外に自由に出られる人のように季節を理解することが難しくなる。要介護認定の調査項目の中に「今の季節を理解することができるか」という項目があるが、実際にこの寒い季節であるにもかかわらずいまを「夏」と思っているような人が多々いるのだ。



正直、「七草粥なんて食べなくても」と思ってしまう自分がいるのだが(それほどおいしいものではないしw)、そうした食文化・習慣が、季節を感じる一助となり、生活にメリハリをもたらすための手段となることを考えると、飽きるほどに毎年同じものを食べるということにも意味があるのだなと思わざるを得ない。

 

予期できないものとしての死について

年始からなんともめでたくない話だが、元旦早々、ある利用者とお別れすることになった。年齢的にはまだ比較的若く、そして何か生命の危機にかかわるような予兆があったわけではない、そんな状況で突然訪れた出来事だった。



自分の担当の利用者ではないとはいえ、そのようなことがこの年始に起こるとは何とも悲しいことである。しかし、それが死の現実であり、そして「いつ何が起きるかわからない」人たちを支えるこの現場の宿命でもある。



このような出来事に際して、いつも問われるのはそこに至るプロセスである。そして、このことは多くの職員を悩ませる。なぜなら、何らかの緊急事態が生じた際に、誰も死に至ることを意識して行動などしないからだ。むしろ、生き永らえることを考える。これが看取り介護だとまた別の話になるが、人々は必ずしもそうしてある程度予期された形で人生を閉じるわけではない。結果的にそうなってしまった、その中で対応の適切さを遡及的に問われることになるのだ。



だがはっきりいって、完璧に行動するなど無理な話であろう。わたしたちが何らかの対応を行うのは生命をつなぐためだが、それは決して何らかのアリバイ作りのためではなく、また、そうであるが故に、繊細かつ大胆な状況判断が求められる。決して救命の専門家ではないが、しかし、やることはやらないといけないのだ。そのためのマニュアルも整備されてはいる。



にもかかわらず、それがうまく機能することなどそうないように思える。いくらシミュレーションを重ねても、そのような現場に立ち会う機会などそうあるわけではなく、しかも複数の人間が同時に動いていかないといけない、その中で経験が物を言う世界でもあるため、構造的にうまくいくとは考えづらい。実際にやることはシンプルなのだけど、関係する職員がみな同じ方向を向いていなければ、結果的に混乱を招いてしまうこともあり得るからだ。



今回の対応がどうだったかわからない。やれることはやったかもしれないが、不十分な部分もあっただろう。しかし、こんなめでたい日に、施設から電話を受けなければいけない家族の気持ちは如何程のものだろうと、それは気がかりだ。



それにしても、指示を出す役割というのは何とも気が重いものだ。しかし、それの質が連携の良し悪しを決めてしまう。運ばれていく利用者の顔を思い浮かべながら、あの時のあの判断が正しかったのか、しばらく反芻する日々が続くことになるだろう。このような経験を、決してムダにしてはならない。

 

想像力のレッスン

あまり良いこととは思えないのだが、現在のわたしの部下には二十歳前後の若者が多い。そう一口に言っても、ここにたどり着くまでの経緯も個性もみんなバラバラだから、あまり一括りには考えないのだけど、おそらくひとまとまりに考えざるを得ないことというのがある。



それは、彼らは我々の仕事においてはぜひとも知っておかないといけないとある出来事について、あまりにも無知か無関心であるということである。



わたしより年上の職員と雑談をしているときに、ふと、いま新聞で慰安婦問題のことが再度話題になっているという話になった。そこで、ある若手職員は知ったかぶって「作り話だったとかいうやつでしょ」と真顔で言って来たのだが(そこでややブチ切れそうになるw)、別の職員はそもそもそうした存在すら知らなかった。



そんな職員にふと聞いてみた。「日本は昔どの国と戦争したか知ってる?」「日本が昔植民地支配していた地域はどこ?」。当然ながら、彼らはまともに答えることができない。自信なさげに「アメリカ?」「中国?」などと答えるだけだった。



勉強が苦手だから進学せずに就職したのかもしれない…だけど、日本が過去に行った戦争について、中高でも習うような歴史であるはずにも関わらず、あまりに知らなすぎやしないか。ちょっと、そういうことに危機感を覚えてしまった。



別に詳しく過去の戦争の経緯を説明出来る必要などないけど、最低限そこは押さえとかないと、というラインがどんどん下がっていっている、いまやそれが現実なのかとふと思ってしまった。



ところで、この仕事をする上で、果たしてそのような「知らぬ存ぜぬ」が通じるのだろうか。そこで次のようなお説教のことばが頭に浮かんだ。

 

だって、いまあなたたちがケアしている方たちはみんなあの戦争の苛酷さを経験し生き抜いてきた人たちなんだよ。あの戦争があって、貧しい時代を乗り越えて、いまに向かって歩んできて、そして人生の最期をまもなく迎えようとしている。その人達の生活を支えようとしているあなたたちが、戦争のことを何も知らないってどういうこと? それで、いま目の前にしている人たちの人生の何がわかるっていうの? 

 

いまからでも遅くないから少しでも昔のことに興味を持って、そしていま目の前に対峙している人たちがどんな社会で生きてきたのかを想像して欲しい。と同時に、そんなことを知らない若者が平然と高齢者の生活を支えようとしているということに、彼らより長生きしている先輩たちは想像力を働かせるべきだろう。