アンソロジー的な何か
久しぶりの投稿です。というか、このブログ、ほとんど使ってなかったw
わたしは複数のブログを持っていて、その中でお仕事に一番関連するブログということで立ち上げてみたのですが、更新する時間がおそろしくない! あと、家帰ってまで仕事のこと考えるのかとどうなの? そういうのが嫌になってすぐに放置状態になっていました。
ただ、別の場所に愚痴みたいなことを時おり書いたりしていて、それは本当に極一部の人の目にしか触れないものだったりするのだけど(内容によってはいろいろ特定されるリスクを含んだりしているので)、もうだいぶ時間が経過して公開してもいいかなと思いだしたので、このブログに過去に書いた文章をぶち込んで行くことにしました。
大げさに言うとアンソロジーというか、ちょっと懐かしい気分もありつつ、「介護」というテーマで自分なりにいままで考えてきたことを集約してみようというわけです。
そういうことをしようと思いついた要因というのが実はあって、それはいま介護の仕事を都合により少し離れてしまっているんですね。また戻るかはわからないけど、離れたからわかることというのもあるし、いままでの自分のことを振り返るという意味でも、いい機会なのではないかと思いました。
まあ、誰が読みたいんだよそれ?っていう話ではありますが、そこは自己満足の世界なのでお許し下さいw
新しくまた何かを更新するということがあるのかないのか、それはわかりませんが、とりあえずわたしの介護職という仕事の副産物として生まれた欠片たちを痕跡として残しておきます。
国家資格をもって働くということ
最近、思考の停滞が著しく、あまりまとまらないことをが多いのだけど、いまの時期なの
介護の仕事にはいろいろな側面があるが、典型的なもの、いわゆる身体介護と呼ばれるも
言うまでもなく、自分の身体の清潔を誰かの手に委ねなければいけないということ、その
さて、現場で入浴介助を誰が担当するのかについては、その現場のやり方によるだろうが
そのような現場で、では、誰が入浴を担当するのかという話になる。必然的に、若手が動
やり方を知っている、ということはあくまでスタートラインである。実際に入浴の介助が
たとえば、入浴の前にはバイタルサインを計測するのが一般的だが、しかしなぜ入浴にお
冬場の時期には特に高齢者の入浴での事故が多いということが一般的に知られている。脱
安全であることは前提であるが、一方で入浴には文化的な側面もある。昔沖縄出身の方の
言うまでもなく、日本人の多くは入浴が好きである。認知症の人でお風呂に入るのを極端
入浴の介護は、決して身体清潔の保持に留まらないさまざまな側面を持っている。作業的
そういえば、明日はいよいよ三福祉士(介護、社会、精神保健)の試験がある。よりによ
当たり前だが、国家資格を持って働くということは、上にあげたようなことを熟知してい
飽きることもまた、風物詩かな
最近、ネットで料理番組の動画を観るのにハマっている。自分で料理するわけではないの
ところで、お正月を過ぎた後の料理番組は決まって「おせち料理に飽きた頃、こんな料理
それにしても、飽きることがわかっていながら、しかし、わたしたちはおせち料理を食べ
1年に1回というサイクルにも意味があるだろう。今日(1月7日)の七草粥というのも
話は変わるが、食を通じて季節を感じるということは、たとえば施設に住んでいる高齢者
正直、「七草粥なんて食べなくても」と思ってしまう自分がいるのだが(それほどおいし
予期できないものとしての死について
年始からなんともめでたくない話だが、元旦早々、ある利用者とお別れすることになった
自分の担当の利用者ではないとはいえ、そのようなことがこの年始に起こるとは何とも悲
このような出来事に際して、いつも問われるのはそこに至るプロセスである。そして、こ
だがはっきりいって、完璧に行動するなど無理な話であろう。わたしたちが何らかの対応
にもかかわらず、それがうまく機能することなどそうないように思える。いくらシミュレ
今回の対応がどうだったかわからない。やれることはやったかもしれないが、不十分な部
それにしても、指示を出す役割というのは何とも気が重いものだ。しかし、それの質が連
想像力のレッスン
あまり良いこととは思えないのだが、現在のわたしの部下には二十歳前後の若者が多い。
それは、彼らは我々の仕事においてはぜひとも知っておかないといけないとある出来事に
わたしより年上の職員と雑談をしているときに、ふと、いま新聞で慰安婦問題のことが再
そんな職員にふと聞いてみた。「日本は昔どの国と戦争したか知ってる?」「日本が昔植
勉強が苦手だから進学せずに就職したのかもしれない…だけど、日本が過去に行った戦争
別に詳しく過去の戦争の経緯を説明出来る必要などないけど、最低限そこは押さえとかな
ところで、この仕事をする上で、果たしてそのような「知らぬ存ぜぬ」が通じるのだろう
だって、いまあなたたちがケアしている方たちはみんなあの戦争の苛酷さを経験し生き抜
いてきた人たちなんだよ。あの戦争があって、貧しい時代を乗り越えて、いまに向かって 歩んできて、そして人生の最期をまもなく迎えようとしている。その人達の生活を支えよ うとしているあなたたちが、戦争のことを何も知らないってどういうこと? それで、い ま目の前にしている人たちの人生の何がわかるっていうの?
いまからでも遅くないから少しでも昔のことに興味を持って、そしていま目の前に対峙し