よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

あるおばあさんのこと

幼いころの老人たちとの記憶。そういうものは本当に少ないけど、ふと思い出したことがあったので書きとどめておく。



近所にあるおばあちゃんが住んでいた。浴衣か寝間着かわからないけど、白地に水色の柄の服を来てたまに近所を歩いていた。そのおばあちゃんはビニールの袋を持ち歩いていて、中には包装されていない剥き出しの「おかき」が何個か入っていた。そのおばあちゃんが、一度だけ幼いわたしに話しかけてきたことがあって、それは「お菓子持ってない?」だった。わざわざ家の近所でお菓子を持ち歩くわけもなく、「持ってないよ」と答えたら、そのままどこかへ行ってしまったのだった。



後になって、たまにおばあちゃんが歩きまわってるけどお菓子はあげたらダメと母に説明された(糖尿病だから?とかいう理由聞いた気がするけどはっきり覚えていない)。そういうもんだと幼い心には思っていたけど、いまになってあの経験は何なんだったのだろう、とふと思う。



明らかに外に出る格好ではなく、そして小さな子どもにお菓子を乞うているのだ。幼心にさえ心ざわめかせるものがあったけど、あれは間違いなく認知症を患ったおばあちゃんだったのだろう。しかし、その存在は隠されていた(というか、「見てはいけない」存在だった)。辛うじて外に出る自由はあったのかもしれないけど、それほど頻繁に出歩いているというわけでもなく、むしろ家の中に引きこもっていたのだと思う。



たまに現れては子どもに声をかけてくる老人…その姿への大人の眼差しは、間違いなく不審者へのそれとパラレルなものだった。



いわゆる「徘徊老人」に近所で話しかけられるという経験をわたしはそれ以来していないのだけど(いや、本当はどこかで出会っているはず、気づいていないだけで)、あれから四半世紀がたって、いまでも認知症高齢者が隠された存在であるとすれば、それは悲しいことだ、と思う。



※ちなみに、上記の例からわかるように、認知症の老人であっても何らかの行動原理を持って歩き回っている場合があり(このケースだと「お菓子が欲しい」)、無目的に歩き回るという意味での「徘徊」という用語は、業界的に見直されつつある。



それにしても、このおばあちゃんは、家でおかきを食べさせてもらえなかったのだろうか。あまりに食べ過ぎるから(これも認知症の症状としてはあり得る、食べたことを覚えられないから)、与えられる量を制限されていたのだろうか。そして、子どもに話しかけるというのは、この場合はどういう心理だったのだろうか。考えるといろいろと興味深い。