エネルギーの処し方
エネルギーというのは、基本的には秘めたるものなのだろう。
ただ、どこかで開放されるタイミングというのがある。その瞬間というのは、当の本人にもわからない。気づけば満ち溢れているかもしれないし、ずっと秘められたままかもしれない。予感することぐらいできるかもしれないけど。
BPSD(認知症の行動・心理症状)というのは、そのエネルギーの処し方の技法なのかもしれないと思う。やり場を探しているのだ。どうしたらいいか、誰にもわからないけど、とにかく動き出してしまう。
そして、そのエネルギー量を侮ってはいけない。年寄りだからと言って。そんなもの、本気を出せば、元気な若者でも受け止められる類のものではないのだから。
そんなエネルギーの開放を前にして、どうすべきだろうか。
敢えて無能であることも、また一つのエネルギーの処し方なのかもしれない、とわたしは思う。事実として、抑えつけることなど決してできない。それに、その沈静化しようとする見えない力こそが、開放の引き金かもしれないのだから。
だけど、それこそが困難なことなのだ。待つこと、耐え忍ぶこと、そして、受け流しなら、ギリギリのところで全てを受け止めること。
でも、介護の厳しい現場を切り抜けるには、そうした悟りのような境地に達することが時には必要なのだろう。
そして、そういう経験をさせてくれる現場があるのは、決して悪いことではない。