よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

逃げ道をつくらないための資格

前にこのブログで触れた新人職員がわたしの勤める施設に入ってきて、約2ヶ月が経とうとしている。

 

現状を言うと、スタッフ間でその職員に対するストレスや鬱憤がたまっており、リーダーを交えて話し合いがもたれる事態にまで発展した。リーダー曰く、このままでは夜勤などの責任の重い仕事を任せられないとのことで、これまでにスタッフから出された新人にたいする意見を本人に率直にぶつけたのだという。

 

いったい、そのようなことを言われて、その職員はどう思ったのかわからない。でも、わたし自身、その職員に対する指導を担ったこともあるので、まったくもって他人ごとではない。これが吉と出るのか、これまでと変わらないのか・・・

 

その職員の問題はもちろん、その職員自身が解決するべきことである。問題のひとつは、わたしの評価では、対人援助職に従事するものにとっての基本である自己覚知が、いまのところ十分に行われていないことにあるように思えるからだ。自分がどのように振舞っているように見えるかが理解されておらず、その結果、他者を不快にさせるような言動や行動があっても、何とも思わない。2ヶ月も経てば当然知っていなければいけない業務に関して知らないことがあり、なおかつそのことに対して改善しようという意思が見られない。人の話を聴くこと、開かれた態度でいること、多くを学ぼうとする姿勢など、この業界で働く上で基本となるメンタリティが獲得されていない・・・など。

 

もちろん、そのための道筋をつけるのは、先輩であるわたしたちの仕事でもあろう。場面に応じて「ここはこうしたほうがいい」とアドバイスしていくのは当然の責務である。もしそれがうまくいっていないとしたら、その責任の一端はわたしたち自身が取らないといけないであろう。そして、言うまでもなく、自分たちが実践できていないことを指導しても従うとは到底思えないので、先輩は常日頃からの業務や介護技術を丁寧に遂行することで、後輩に範を示さなければならない。

 

「できないのなら辞めたらいい」のような言辞で突き放すのは、指導者の無能さを証明するものでしかない。

 

だから、今回のようなことは、自分自身の問題として考えなければいけないのだと思う。いったいどうすれば、新人を一人前の施設職員として育成できるのか・・・来月から入ってくる新卒の新人職員のことを考えるとき、この問題は自分にとって切迫したものである。

 

ところで、その職員は「介護職員基礎研修終了」(残念ながら2012年度末で廃止される)というヘルパー2級より上級の資格を持っているのであった。この資格を取るためには約半年間の学習が必要であり、取得すると「サービス提供責任者」になることもできる。

 

しかし、その職員がいま有している介護に関する知識や技術は、残念ながらヘルパー2級のそれと何も変わらない。たかだか半年勉強したぐらいで介護のことなんてわからない、という言い方もできる。あるいは、こちらが期待する水準が高すぎるのかもしれない。

 

でも、それだけの期間勉強してきたのであろう。だからこそ、思うのだ。もしその資格を持って施設で働くのなら、もっといろいろなことを知っていなければいけないのではないだろうか? たとえば、認知症の中核症状とBPSDの違いについて説明できないのであれば、それは認知症について何も知らないに等しいのではないのだろか? そして、もし勉強したことを忘れてしまったというのであれば、自分でその分をフォローアップするのが「学習する姿勢」というものなのではないのではないだろうか?

 

わたしは、その資格を持っているということを聞いたとき、知識に関してヘルパー2級よりも高いものを有しているという前提で指導していた。しかし、途中でそれではこの職員はついて来れないということに気づいた。にもかかわらず、わたしはその期待の水準を下げることはしなかった。

 

なぜなら、その水準で業務をこなさなければいつまでたっても素人のままであり、介護のプロとは言えないと思ったからだ。そして、その中途半端なレベルの知識は、利用者を場合によっては危険な目に晒してしまう可能性がある。だから、下げるわけにはいかなかったのだ。

 

そして、資格を持っているということは、「知らなかった」という言い逃れができない地点に自分自身を置くことなのではないかと思う。だから、その職員に対して、自分の無知は「指導の仕方が悪い」からではなく、知ろうとする努力を怠ってきた結果だ、とわたしは言わなければいけないのだろう。そう思えるかどうかが、「成長できる職員かどうか」の分岐点だからだ。

 

「あなたはヘルパー2級より上位の資格を持っている・・・だからこそ、己の無知から逃げることなんてできない。」

 

言うまでもなく、これはわたし自身に対する戒めでもある。