よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

できるからするのか、したいからするのか?

この前ふと考えたことをメモ程度に。「自立支援ってなんぞや」というよくある話について。


わたしが勤務している施設には、「個浴」と「特浴(機械浴)」という2つの入浴の形態が存在する。

 

うちの施設はユニット型なので、個浴は各ユニットに1つずつ設置され、それは「家庭的な雰囲気のなかで過ごしていただくことで在宅での生活の継続をめざす」というユニットケアの考え方にもとづき、家庭にあるような一人でつかれるサイズの浴槽が備え付けられた「普通の」お風呂になっている。もちろん、介助のしやすさ、安全を考え、脱衣場や洗い場は少し広めになっており、手すりやシャワーチェアー、引き戸など、バリアフリーに対応した福祉用具が備え付けられている。そのような浴室で、職員がマンツーマンで介助しながら、利用者に一人ずつゆったり入浴していただくのが「個浴」というわけである。基本的には利用者にはこの個浴を利用していただくことになる。

一方の「特浴」は、主にADL(日常生活動作)などの問題で個浴では入浴するのが難しい利用者が対象。複数の職員が協力しながら、機械浴(といってもいろいろ種類があるわけだけど)で安全に入浴していただくというのがその基本的な考え方だ。

 


ここで最近うちの施設でわたしが疑問に思ったこと(あまり晒したくはないけど・・・)を書くことにする。

 

うちの施設では、できるだけ多くの利用者に個浴で入浴していただきたいとの考えのもと、いままで機械浴で入浴していただいた利用者を徐々に個浴に移行していく試みがなされてきた。特浴で入浴していただくのにはそれなりの理由があるのではあるが、「工夫すれば個浴で入ることが出来るかもしれない」利用者もおり、そのような方を対象として個浴での入浴を試み、実際に可能であることが実証された利用者に対しては、ケアプランを変更し、個浴への切り替えを行なってきた。

 

しかし、なぜわざわざ安全面では優位にある特浴から、あえて個浴に移行してまで入浴していただきたいと考えるのか?

 

わたしが懸念するのは、その「理由」の部分に関して、職員間でその基本的な考え方が十分に理解されていないのではないか、ということである。

 

うちの施設で「特浴」の利用者は毎回10~12人前後。それを、4~5人の職員で協力しながら、2時間ほどで入浴していただくのだが、いってみればこれは役割分担による流れ作業的な入浴の形である。ある人は着脱介助、ある人は洗身・洗髪の介助、ある人は移動の介助、というように、複数の職員が一人の利用者の介助にあたるような形になる。もちろん、二人介助が必要な利用者がほとんどなので仕方のない部分もあるのだが、このようにして風呂に入れられる利用者の気持ちになってみると、決して心地よいものとは言えないだろう。職員にとってみても、決められた時間内で介助量の多い利用者ばかり、入浴介助するわけだから、その労力は大変なものである。

 

そして、いまのやり方では、人員の関係から、これ以上機械浴の利用者が増えると、職員の負担が大きくなるのは明らかである・・・

 

そこで、できるだけ個浴で入っていただこう、という話になるのだ。しかし、それでいいのだろうか?
 

いま一人の利用者の「個浴化」計画が進められようとしている。

 

その方は以前は個浴で入浴していた方だが、一時期体調が悪くなり入退院を繰り返していたため、それ以来「特浴」で入浴していただくことになった。認知症もあり、左大腿骨骨折の既往歴がある(いまでも痛みの訴えがある)ため、介助には注意を要する方である。しかしながら、ここ最近は体調不良もなく、また、ADL的にみても、座位が安定している、介助すれば立位をとれるなど、個浴に入れるための条件を見たしている。

 

実際、以前、試験的にその方に個浴で入浴していただくという機会があった。その時は(担当した職員いわく)うまく入れることができたとのことで、「あの(別の)利用者を入れられるんだったら、この方も大丈夫だろう」という話だった。技術的に一部工夫が必要なこともあるけど、十分に個浴は可能なのではないか、と。

 

そして、流れ的には「じゃあ、徐々に個浴に移行しましょう」という話になるのではあるのだが、その前に考えることがあるのではないか、と思う。

 

わたしは以前、同じく別のある利用者を特浴から「個浴化」するという話が出たとき、その話を持ちだした職員に聞いたことがあった。「なぜこの人を個浴にするの?」 それに対する答えは「前は個浴でも入れたから。ADL的に前よりはよくなってるし、いまなら出来るんじゃない」という話だった。「それで本当にいいの?」と聞いたけど、そのときはそれ以上の話にならなかった。まるで、それ以上何か説明が必要なのか、と言われんばかりに・・・

 

その時に抱いた違和感、それは一言で言えば「利用者目線の不在」ということだろう。

 

「その方にとって、特浴での入浴から個浴の入浴に変わることには、どのような意味があるのか?」

 

そのようなアセスメントがないまま進められようとしている「個浴化計画」にわたしは反対である。ただADL的に問題ないから個浴化する、特浴の利用者が多すぎるから個浴化する・・・それは自立支援の考え方から程遠いのではないだろうか。

 

せめて次のようなことを説明できたら、職員間で「個浴化しよう」という目的意識が明確になるのではないかと思う。まあ、なかなかこういうことを言語化しようとする人間がいないのが実情だったりするのではあるけど・・・

 

「特浴での入浴時、本氏が入浴を嫌がることがあった。認知症の影響でうまく自分の気持ちを表現することはできないが、身振りや表情からそうした気持ちを感じ取ることができた。本氏にとって、大浴場で流れ作業的に介助されて入浴することは決して快いものではないかと考えられる。そこで、本氏のADL等を鑑みた上で、特浴から個浴に移行することを試みたいと思う。マンツーマンでゆったり個浴に入っていただくことによって、本人が入浴を「無理やり入らされる」ものから、「自分で入りたい」と思えるようにする。それが達成できたら、入浴が本氏の楽しみになり、QOLの向上に資することになるのではないか。」

 

「介護計画」としてがっちりプラニングするならもっと精緻な議論の組み立てが必要だけど、最低限これぐらいのこと言えないとなあ、という話。 

 

だって、それが介護「福祉」ってもんでしょう? たとえ日常生活の大半において介助を必要とする方であっても、その人にとっての自立支援というのがある。それを目指すのが介護であって、その理念を忘れてしまったら、うちらってただのお手伝いさんでしかなくなってしまうよね。