よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

正しい状態~そんなものない

いきなりですが、わたしは正直言うと、介護現場における新人教育というのがどうあるべきかというのは、よくわからないのです。自分自身はアレコレと言われる前に自分でいろいろなことを習得してしまった、というか、そんな教育体制がロクにない状態でOJTさせられてしまったという感じなので(もちろんきちんと指導してくれた先輩もいたけど)。ただ、いままでキチンと教えなかった職員がそれなりの働きしかせず、モチベーションを高めることもできずしんどい思いだけさせて、結局辞めていってしまう・・・という状況を何度か見てきたので、そういうなんとなく状態だけは避けたいなあと思うんですよね。

 

ところで、先月から入ってきた新人は、今年入って来た新人の中ではもっとも期待がもてるなあと思ってるんだけど、その職員の能力をいかにして引き伸ばすかということを考えたときに、わたしのなかで一抹の不安があるのです。それは、職員によって教えることが違うというか、わたしから見たらそれは違うよなあということが教えられているのを知ってしまったからです。

 

もちろん人によってやり方が違うというのはよくあることだし、必ずしも正解があるわけじゃないのが介護現場なわけです。だから、むしろいろいろな見方・考え方を知るほうが大事だったりするのだけど、それでも、それはなあということは当然あって、その場ですぐに訂正することも可能なのだけど、なんというか、「全く間違えてるわけじゃないけどちょっと・・・」というようなことって、言うべきかどうか迷っちゃうんですよね。もしかしたら、介護観の違いによるかもしれないので。

 

先日わたしが「んん?」って思ったことがあって、それはある職員(リーダー格だけど)が、「夜勤に入る前に利用者の正しい状態を憶えること」と新人に教えていたのです。それは「ふだんの状態を知ることによって変化に気づくことができるようになる」という観察の基本みたいなことではあるんだけど、わたしはそこで「正しい状態」という表現が使われていることに違和感を覚えてしまったのです。

 

利用者の正しい状態・・・???

 

たとえば、夜勤中に気づかないといけないことといえば、身体的な変化だったりするわけです。だから、「この人の顔色はふだんこんな感じだ」とか「この人は声かけすればきちんと返事できる人だ」とか知っておくと、巡回のときに変化に気づきやすくなる(「あれ、声かけしても全く反応がないぞ」とかね)。だから日常の観察はとても大事、という話だけならわかるんですよね。だけど、それが「正しい状態」かどうかはまた別問題でしょう。

 

「正しい状態」という表現の何が問題なのかとここ数日考えていたのだけど、結局こういうことなのではないかと思います。つまり、何が正しい状態なのかというのを考えることなく、「現状はこうである=それが正しい状態だ」と考えると、その状態を改善しようというふうに考えが及ばなくなってしまうのではないか、ということ。特に新人に対するアドバイスなのだから、「正しい状態を憶える」よりも「何が正しいかを考える」ことを促すことの方が教育的に重要なのではないか、と。そして、先導的に変えていく役割を持つリーダーがそのような考えではいけないのではないか、ということも同時に思いました。

 

もちろん変えようにも変わらないものがあるわけです。利用者の認知症状やADLを改善することは並大抵のことではありません。高血圧の人の血圧を下げるのは医療職にしかできないことでしょう。だから、この人はこういう状態だと受け入れるしかない部分もあるわけです。でも、それが「正しい」と言える根拠はどこにあるのでしょう。

 

言うまでもなくケアはその人の状態の変化によって変わっていくものです。いままでトイレで排泄ができていた人も、体調が悪くなればオムツを使用せざるを得なくなる場合もあります。その逆もしかりです。いまこういうケアをしているから、それが「正しい」わけじゃないのです。

 

だけど、「利用者の正しい状態を憶える」という発想からは、そうしたケアを見直す(それこそが介護職がしないといけないこと、変えることができる部分でしょう)という考えが出てこない可能性があります。でも、それでは困るのです。

 

「この人たちはこんなもんだから」という諦念しかない状態で介護を行うことがいかに現場に閉塞感をもたらすか・・・

 

だから、わたしならその新人に対して観察の重要性を伝えるときには、「観察しながら本当にこれいいのかも同時に考えてみることが大切ですよ」と言おうと思います。そういう気づきの積み重ねが現場を変えていく原動力になる、っていうこともね。