よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

まとまりのあるチーム・・・

今日の朝、テレビの占いがふと流れているのが目に入って(仕事中だけど)結果は最下位だったのだけど、そのメッセージに妙に納得してしまった。



占いが提示するのは、完璧を他人に求めてはいけない、寛容な精神を持とう、そして今日は余計なことは言わないようにしよう、ということだった(正確じゃないと思うけど、そんな感じというやつです)。



何をもって完璧というのかが1つの問題かもしれないけど、ここ最近、わたしの周りで起こるさまざまな出来事(積み重なると明らかにストレスに感じるようなアレだけど)を振り返るに、どこまで許容できるのかという部分で、どうも認識のギャップがあるような気がするのだ。



もちろん、わたしより高いハードルを課すような人間は残念ながら部下にはおらず、下手したらなあなあになりそうなその状況をわたしは絶えず批判しているのだけど、どうにも「締りが悪い」状態が続いていて、それがミスという形で表面化してしまう。



ミスの原因、特に利用者に不利益を与えるような、そしてサービス提供者が犯したミスをその都度考えるわけだけど、どうにもこうにも「起きてしまったことは仕方ないから~」と簡単に考えている節があって、それが気になる。同じようなミスを犯さないためには何をすべきなのかについて、本当に思考し理解が得られているのかどうか。リスクマネジメントの観点から、精神論が何の役にも立たないことはわかっているのだけど、しかし、いったいどういうつもりでこの現場に来ているのだお前は!と思ってしまうことも正直言ってあったりするのだ。それぐらい、いまや何かミスを引き寄せてしまう状況が生まれつつあるような気がしてしまう。



つまり、早くそれを断ち切りたいのだけど、その土壌を生み出した責任の一端は明らかにわたしにあるわけで、そして、そう簡単に何かが変わるなんてことはわたし一人の力ではどうしようもないこともまた知っているので、占いの暗示は、焦らずに1つずつ着実に、というメッセージなのかと思ってフムフムと思っていたのだった(まあある意味で楽観的なわけだけど)。



ちなみに、ミスなく的確に仕事をこなしていく上で、わたしは情報の収集と整理は最優先だと伝えてきた。そして、その意識が高い職員は必然的に介護記録も申し送りもスケジュール管理も抜け目なく行えるし、そうした情報共有への努力を怠る人間をわたしは一度も評価したことがない。



それ自体が1つの専門性であり能力なのだからバラつきがあるのは仕方がないにしても、その部分でもう少しチームとしての能力を向上しないと、これからも何か起きるだろうなという気はしている。