よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

悪い芽は早く摘む

何が起こっているのか、その時にはわからない場合というのがある。だけど何かが引っかかる。だから、後になってあれは何だったのだろうと考える羽目になる。



昨日の出来事。久しぶりに早出で出勤したら、いろいろなものが「やりっ放し」になっていてがっかりした。たとえば汚染した衣類の処理とか、時間がないから後回しになっちゃう業務はあるけど、そうじゃなくて、利用者に直接関係あるものですら後回しになっているように思えた。いちいち細かいことを言うと姑みたいな気分になるんだけど(笑)、本当に目に余るのだよね。何でそんなこと出来ていないの? いつもより人が少ないからといって、省略していいものじゃないだろう。



そういうのにいつまでも気づけない職員は相当レベルが低いことを自覚して欲しいのだけど、それにもまして頭を悩ませたのは、朝から利用者に大声を上げている姿を見てしまったこと。自分の主張を押し通そうとしていたのだけど、認知症の利用者に対してあまりに稚拙なコミュニケーションをしていてことばを失ってしまった。この忙しい時間に逆に不穏にさせるようなことしてどうするんだよ、と内心思いながら、手を止めることができない状況でその場をスルーしてしまった。



だけど、振り返るとそれこそが、間違いなのだ。



コミュニケーションのまずさに気づいたなら、それを訂正しないといけない。いろいろなやり方があるだろうけど、そこで介護職としての経験、スキルを示さないといけない。しかし、わたしは絶望的な気分になって、何も言うことができなかった。



それではいけない、指導する立場なのだから。その職員よりも自分のほうがコミュニケーションに長けているはずなのだから。そう思いながら、朝からバタバタと動き回っている環境で何が言えたのか、いまさら逡巡しているのだった。



少なくとも、「言われないからそれでいい」と勘違いさせてはいけないのだよね。過去に実際に同様のケースで忠告をしたことはあるけど、繰り返している。つまり、わかっていない。そして、わかっていないでは済まされないことをしている。



いまからでもいいから何かを言うべきなのだろうと思う。自分がやっていることがいかに「不適切か」に気づけないままキャリアを積み重ねるのはその職員にとって決して望ましくないだろう。



わたしにそこまでのことを考える義理があるのがわからないけど、指導不足というレッテルを貼られるのも不愉快だし、そこを避けてはいけないのだよね。



まあ、責任の範囲をあまり曖昧にすべきではないと思いつつ、結局はわたし自身の問題なんだろうな、これも。