よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

所作の問題

わたしはマナーとか礼儀とか、そういう人を型にはめるようなもの、根拠なく慣習的に信じられているものを殊更重んじるのには懐疑的である。自分自身がそういうマナー知らずな人間だからかもしれないけど、そんなの自由にさせてくれよと思う。



実際、日常生活においてはそれでいいかもしれないけど、そうじゃない場面がある。つまり、相手がいる場面、しかもサービスを提供する場面。言い換えると、接遇をどうとらえるか。



たとえば、これもあまり例として挙げたくないけど、あの皇室の方々に「品格」というものを感じるとして、それはなにかと言われたら洗練された立ち居振る舞いと言えるのではないか。身だしなみの清潔さに加え、頭の下げ方、手の振り方、笑顔の作り方など、どれをとってもある種の型に沿ったものであり、それが徹底されているがゆえに、そういう格式を重んじる向きにはあの方々から所作を学ぼうという話になる。



さて、わたしたちの所作はどうあるべきか、という話。



ある若い職員がいて、その人は「典型的」(と敢えて書くけど)な若者風の所作で仕事をしている。ポケットに手を入れて歩いたり、ことば遣いがだらしなかったり(「~です」を「~っす」と言うとか)、あいさつがテキトーだったり。あるいは、食事の介助中に髪の毛を触ったり、洗面台をチラチラみては「お色直し」をしたり、利用者の横に座って肘をついて話しかけたり・・・



そういう場面を見られて他人にどう思われるか、というのは本人には多分わからない。なぜなら、そういうことをしているという自覚がないから。一方、所作というのは、そういう立ち居振る舞いというのは、皇室レベルだと教育的に叩きこまれたものだと思うけど、意識的に行うことなのだと思う。つまり、それは技術。どう自分を見せるかという話だ。その前提には、対峙すべきものとしての他者の存在がある。



自分がそうされるのは嫌だから、マナーや礼儀について他人に指摘するのは気が引けることだ。だけど、だからといって、それを注意しないでいるのはどうだろう。若者が相手にしているのは自分より何倍も長く生きてきた人たち、その家族だって自分の親よりも確実に年上なのである。はるかに「わかっている」人たちだ。苦情の一つ出てもおかしくない



もちろん、型という話をすれば、その人の行動は「典型的な若者」のそれと類型される可能性がある。それは、ある種の無知への免罪符か、世代の違いとして正統化さえされるかもしれない。



利用者の中には殊更丁寧なことば遣いを嫌う人というのがいる。堅苦しいからやめてと。だけど、丁寧で所作の乱れのない職員に嫌な感情を持つ人など誰もいないだろう。逆に、(本人の意思に反して)礼儀知らずと思われる職員は、たとえその職員の仕事がそれなりのものであったとしても、正当に評価されないおそれがある。それはスキルの一部なのだろう。



介護/労働者として、どこまでの接遇マナーを身につけるべきか、それを実践すべきかは議論があるだろう。ただ、いずれにしても、それで給料をもらうということは、それ相応の所作を身につけておく必要があるということだ。だから、その若者にも、正しく教育されなければいけない。



そして、最後に、忘れてはいけないのは、利用者は介護者を選べないということ。嫌がることはできても、「替えてくれ」とまでは要求できない。だからこそ、サービスを提供する側には倫理が求められる。だらしない状態を放置しておいてはいけないということ。



・・・で、そういうの指導するのも自分の仕事だよねえ、言い聞かせているところですw