よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

利用者とかかわる、ということ

来月ある研修を担当することになって、その準備をしているのだけど、どういう風にそれを伝えたらいいのか、改めて考えている。



一言でいえば、「利用者とかかわる」ということの意味を捉え返したいと思う。小手先の技術ではなくて、「それをすることで、自分たちは果たして何をしているのか、そしてそれは相手にとって何を意味するのか」というメタレベルの問いを含んだものを、まず押さえておきたいと思う。



たとえば、アセスメントという概念があるけど、相手を知ったりそこから情報を引き出すこと、その情報を解釈して統合したりすることは、その相手のニーズを知り、ケアの方針を立てていく上では不可欠かもしれない。だけど、そこで問題なのは、いったい「その相手を知ろうとしている自分」はいったいどのような立場で、どのような考えに基いてそれをしようとしているのかということだ。



臨床の場では、往々にして「気づけば出会ってしまっていた」「目の前に困っている人がいて、理屈云々ではなく動かなくてはいけなかった」という場面はあるだろう。むしろ、そういう状況に自分自身が埋め込まれているからこそ、「かかわっていくこと」がある種の必然のように思えてくる。



だけど、そこで一度立ち止まって考えてみるべきなのだと思う。「なぜあなたとわたしなのか」という問いは、利用者と援助者双方にとって有意な問いであり、またその答えは自ずと異なってくるはずだ。そこには、圧倒的な非対称性がある。それは決して「そういうもの」として前提にすべきものではない。



つまり、そこにはある種の他者への配慮、あるいは端的に倫理が必要なはずだ。それがないまま、たとえば「相手の生活歴を知る」というような行為が援助者の当然の権利として行使されてはいけないのだ。



利用者の権利を守ること、自立した生活のために援助を行うこと、その人らしい生活を最期まで送れるように寄り添い続けること。このことの意味は、日々現場で仕事に追われる職員にはピンと来ないかもしれない。だけど、わたしたちが積み上げていく専門的な知識や技術、利用者一人ひとりと過ごすかけがえないのない時間は、全てそのことへつながっているということ。それを改めてきちんと伝えなければいけない。



さて、ではそれをどう伝えるべきか。悩みは尽きない。