よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

独り立ちについて

職場内で「独り立ち」という表現がある。つまり、一人での勤務=夜勤ができるようになることを意味している。これは、ユニット型の施設ならではの言い方かもしれない(従来型だとワンフロアを複数人で夜勤をするのが普通なので)。



夜勤が出来るための前提は、日勤の業務をこなすことができることである。しかし、それだけでは十分ではない。利用者の変化に気づく力とそれに対処する力、そしてそのことを的確に報告できる力が少なくとも必要だ。我々は医療職ではないので、たとえば身体の変化から何が起こっているかを正確に読み解く力はあまりないし、またそれを期待されてもいない。しかし、「何かがおかしい」と気づく力は確実に求められている。



その気付きがあれば、少なくとも他の職種につなぐことで、次の手を打つことができるであろう。逆にそれができないと、その人の生命を守れない可能性すらあるのだ。



独り立ちするためには、ある程度の時間が必要だ。変化に気づくためには「いつもの状態」を知っていなければならず、またそれ以前に基本的な介護技術をしっかり身につけておかなければ業務事態をこなすことができない。排泄も寝返りもできない人がたくさんいるのだ。身体の動かし方1つしらない人が、夜勤などできるわけない。



独り立ちとは、言い方を変えれば誰にも頼らず自分一人で業務をこなすということだ。何があったとしても、それを判断するのはまず自分自身なのだ。さて、その自分自身は果たしてどのように形成されるのか。



組織というのは、継続性を前提にしている。そこで雇われるということは、時間をかけてでもその能力を身に付ける権利を得るということだ。



別の観方をすれば、そういう組織に属するわけでもなく働くのなら、判断力なりなんなりは、自分の努力で身につけるしかないということだ。



つまり、そういう努力なしで、組織性に頼れない活動を行うということが、いかに無防備で無謀な試みかということ。



だけど、未熟であるがゆえに、その剥き出しの生を差し出してしまうということもあるのだろう。せめて、その未熟さにつけ入れられないように、そして、その若さに期待をかけるのなら、それを搾取するのではなくきちんと成熟させる先達として振る舞えるように。