よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

自分自身の問題として考えることの難しさ

現場におけるコミュニケーションにはさまざまな諸相があるわけだけど、いかにしてその場に合った適切なコミュニケーションを取るべきか、これを極めるのは非常に難しい。特認知症の高齢者が相手であれば、新人職員がその対応の難しさに戸惑うのは当然と言えるだろう。コミュニケーションは全ての介護技術の基礎にあるべきものであると同時に、この仕事を続ける限りつねに磨き続けなければいけないものだ。



最近、その指導の中で考えさせられたことをメモ程度に。



ある新人は、相手の言っていることが理解できないとき、どのように対応すればよいか考えていた。その相手は、普通にことばを発することができるが、こちらの質問に適切に応えられず、会話のキャッチボールをしようとしてもチグハグになってしまう、そんな言語能力を有した人だった。



その新人は、そのような相手とコミュニケーションを取るうちに1つの結論に辿り着いたようだった。つまり、相手の言っていることがわからなくても分かったふりをしてとにかく相手に合わせること。そうすれば、相手は満足するのだと。



指導者として、もしそのようなコミュニケーションを「スキル」として認めてしまえば大変なことになると思った。なぜなら、その新人は、相手が何を言おうとしているのかを理解しようとする努力をまるでしていないように思えたからだ。傾聴も何もあったもんじゃない。その状態で、「分かったふり」をすることがコミュニケーションの秘訣だとして、そのやり取りからその新人は何を得ようとしているのだろう。



この新人の考えに欠落してるのは、1つに相手とコミュニケーションを取るのはなぜなのか、その目的意識がないこと、そしてより重要なのは、相手の言っていることがわからないことを自分自身の問題として捉えられていないこと。



対人援助の仕事をする限りにおいて、たとえ相手にコミュニケーションに障害があろうとも「相手の言おうとしていることを理解する」努力を怠ってはいけない。それをしないと、援助者自身のコミュニケーション能力は決して上がることはないだろう。