よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

あなたのしていることは自立支援かどうか、という視点について

ある利用者がある時こんなことを言った。「いつも温かいお茶出してくれるけど、暑くなってきたし冷たいお茶がいいわ~」。



認知症状はほとんどなく意思疎通はしっかりできる方である。そして、確かに気候は夏に近づいてきていた。さっそく、冷蔵庫に冷やしたお茶を用意し、食事の際などに冷えたお茶をその方に出すことにした。



ところがある時、その利用者がこのように職員に言ってきたのだった。「いつも冷たいの出してくれるけど、やっぱり温かいのがいいわ」。それを聞いたある新人職員は、何の迷いもなく申し送りにこう記した。「~~さんには食事の時、温かいお茶を出してください」。



このことについて事後的に報告を受けたわたしは、少し考えてしまった。何かが引っかかるなあと思っていたのだが、他職員とも話しているうちに違和感の正体が見えてきた。



まず、お茶に関して「冷たい」「温かい」の要望は、どのような文脈において出されたものなのだろうか。一番最初に冷たいお茶の要望があったとき、それは「これからしばらく冷たいお茶がいい」の意味だったのか、あるいは「今日だけ冷たいのが飲みたい」だったのか。そして、別の場面で温かいお茶を再度希望された利用者さんは、その時何を思ってそう職員に伝えたのだろうか。



ここでの問題点は、利用者からの要望をただそのまま要望としてだけ聞き、なぜそのように利用者が要望されるのかを十分に確認しなかったことだ。そして、その確認が不十分なままに、まるで決定事項であるかのように「温かいお茶を出すこと」を申し送ってしまったこと。経験的にこういうことは混乱の原因になるし、ケアのあり方に関わることなのでリーダーには最低限報告しておくべきなのだけど、それさえなかった。まあ、それが新人が新人たる所以ではあるのだけど。



では、どうすればよいのだろうか。



「自分ならこうするだろう」という1つの答えは、「どっちが飲みたいかを本人にこまめに聞く」ということだ。そして、どちらを飲みたいと要望されてもすぐに提供できるように、せめて夏の間は冷たいお茶をつねに冷蔵庫にストックしておくということ(それぐらいは忙しかろうが何だろうができるだろう)。つまり、選べるようにするということだ。



もちろん、毎度のように冷たい/温かいを聞かれたら面倒くさいと思われるかもしれない。そこは臨機応変な対応が必要だろう。しかし、そもそもどちらも用意しているということを知らせなければ、選択の自由もないし、他にもいるかもしれない「冷たいお茶が実は飲みたい」というニーズを見過ごすかもしれない。



そして、何よりも重要なのは、自分の意思で選べるように働きかけること、介護者が一方的に全て決めてしまわないということだ。それこそが生活するのに人の手が必要な利用者がそれでも自分の主体性を失わずに生活するための工夫だし、必要な援助でもある。



それを教科書的に言えば自立支援というのだけど、たかだか「どっちが飲みたいか」を聞くことがそれほどの意味を持っているとは、新人にはさぞかし理解できないのだろう。