よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

時間を有効に使うことについて

昔いっしょに働いていたベテランの同僚がいて、その人はとにかく仕事が早かった。年齢から考えるとびっくりするほどにパワフルで、そのスピード感が時に利用者中心の逆を行くようで怖いほどだった。



その人がある時言った言葉がとても印象的だった。その人は排泄介助の手際がとてもよかったのだけど、気づけば真っ先に介助に向かってしまうような部分があって「あれっ?もう終わったんですか」ということがしばしばあったのだ。すっといなくなったのでトイレに行ったのかと思ってたら、他人の排泄の世話を終わらせていたというレベル。



そこで、ある時、さすが早いですねえという会話をしていたら「そういうのはパッと終わらして、できた時間でレクリエーションとかみんなでしたらいいのよ」と、そう言われたのだ。



「なるほど、そういう考えで動いてるんだ」と妙に納得したもんだった。だけど、簡単に受け入れられないと思った。時間の使い方が徹頭徹尾サービスを提供する側の主導になっていたからだ。確かに介護度が高いフロアだったので、そうせざるを得ない面があったにせよ、食事の時間も排泄の時間も一様ではないはずの利用者に対して、結果的に同じようなケアをしてしまうことになる、と思ったのだった。それでも、時間を有効に活用しようとする意識があるのはさすがだと思った。



翻っていまの現状を見ると、残念ながら仕事も遅いし、時間ができたらできたらで何をするでもなくダラダラしている職員がいたりする。最低限の仕事をして終わり、そこには創意工夫が存在しない。せめて利用者と何かする時間を持とうよと思うのだけど、指示しないと動こうとしない。あの時と比べたら明らかにレベルが落ちたなあ、と思ってしまうのだけど、何かいい解決法があるかはわからない(結局、自分で考えないと成長なんてしないんだから)。



それはそうと、最近わたしは時間については「限られた時間をたっぷりと使う」ということを意識している。たとえば現場では「食事介助が終わったらじゃあ排泄介助だね」というようなある種の「流れ」があって、そこに効率化という要素が入ると、気づけば集団ケア一歩手前みたいなことになっていたりする。



それを避けるためにどうすればいいか。時間に余裕があるのなら、食事が終わった後にでも「どうでしたか、今日の食事はおいしかったですか」と一言会話でもしてみればいいと思う。あるいは「お腹いっぱいになりましたか」とかね。そして、車椅子に乗っていることを利用して、すぐにトイレまで連れて行こうとしない。ちゃんと食べ終わった後の余韻を楽しんでもらうように工夫するのだ。仮に満腹だったとして、ちょっとゆっくりするぐらいのことは誰だってすることだろう。



当たり前のことだ。だけど、これがなぜかできないのだ。不安があるとすれば、あまりにもたもたしていると排泄が間に合わなくて結果的に利用者に不利益を与えるといったことだろう。少ない人員で介助量が多いなら尚更、時間を気にしながら動いていかなければならない。



だけど、そういうことに慣れると、結果的にルーティンになるのだよね。作業的な動きになる。そこでは利用者の主体性は無きものにされてしまう。それが果たして時間の有効活用と言えるのか…



せかせか動いてしまう中堅職員を見ていると、そういう現場にはしたくないなあと思ってしまうのだけど、そういう意識をフロアに浸透させるにはどうすればいいのか。これまた難しい問題である。