よむ介護

介護を通じて考えたことを書いていきます。

予防的な取り組みの難しさについて

たとえば、現象として物理的に何かが現れたとしてそれを取り除くのはそれほど難しくないかもしれないが、何かが物理的に現れること自体を防ぐとなると話は変わってくる。



まずその物が現れる機序を明らかにした上で、それが発生するプロセスに介入し形にならないように働きかけなければならない。その介入自体、一瞬なのか継続的な営みになるかはその発生プロセスによるわけで、場合によっては介入自体が膨大な労力を要するプロセスへと変わるかもしれない。介入を続ける中で、その物自体が発生する機序自体に変化が及ぶかもしれない。



「~~を予防する」ということが介護現場では当たり前のように飛び交っている。筋力低下、拘縮、誤嚥、脱水、転倒、褥瘡、閉じこもり、インフルエンザ、あるいは認知機能低下。ある意味、予防的ケアこそが良質な介護の要と言っても過言ではない。しかしながら、その予防への取り組みにはある種の難しさが伴う。



それは、予防が目指すところが「~~を発生させない」ことにあるからだ。たとえば、褥瘡予防で目指されるのは、褥瘡を治癒することではなく、そもそも褥瘡を作らないことなのだ。



そのために一体何をすべきか。まず、褥瘡がなぜ発生するかを知るところから始めなければならないだろう。その上で、発生しやすい利用者を見極め、その利用者に対して、湿潤環境の改善や除圧ケア、栄養状態の改善など、しかるべき対処をしなければならない。



そして、「発生していない」ことがその人へのケアのプロセスの一つであることをチーム内で理解・共有されなければならない。でなければ、「元々何もしなくても問題なかったじゃないか」という話に転がりかねないからだ。何かをしたから発生していないのか、何もしなくてもそもそも発生しないのか、その境目の見極めこそが専門性といえるだろう。



困難なのは、このプロセスにはおそらく終わりがないということだ。「発生していない」ということをずっと維持し続けること、これが予防の意義なのだ。これは実は大変なことだというのは、もし目の前にいる利用者が虚弱でさまざまなリスクに晒されやすい状態であるなら、容易に実感できるはずだ。



ここで1つの問題をあげよう。たとえば、認知症予防はいまや民放でも取り上げられるほどのキラーコンテンツになっているが、その中にはいまなお根拠が不明確なものも多い。これが効果がある、と言われているものが後年になって否定されることなどよくあることだ。



つまり、予防のためにやっていたことが実は何の意味がなかった、ということも起こりうるのだ。これも予防ケアに取り組む上でつまづきの石になる。効果を測定するのが難しいことを続けるにはそれなりのモチベーションが必要なのだ。



ということで、予防的取り組みにはある種のマネジメントが必要になるのだけど、そこまで考えて予防に取り組んでいる人って世の中にどれだけいるのやら・・・